ニュートンとその時代
ニュートンとオカルト
ニュートンの預言が遊びや余技であるはずはありません
今なぜ『ファティマ第三の預言』なのか?
拙稿:ファティマ第三の預言
ヘブライ語で解読した『ニュートンの予言』は相当な聖書の知識が必要ですが連載を始める予定です。解説を加えながら......。
房総半島の方位磁石の南北の逆転の磁気異常多発はHAARP兵器によって<ついに磁極逆転が現実になる!?>.......可能性は高い。自分達はAREA51を中心にした地下都市に逃れるシナリオは究極のGLOBAL2000.米国海軍の2012年の地図には日本が消滅している。ここにきて日本政府・マスゴミの南海地震キャンペーンには凄まじいものがある。当ブログに煽りはない。
HAARPの記事によると........戦争が地球に及ぼす影響について調査しているカナダ人の科学者、Rosalie Bertel氏の意見によると、電離層に極めて強い混乱を与えると、大量の自由電子の放出――いわゆる「電子シャワー」――が発生する可能性があるという。その場合には、南極と北極の電位が変化し、結果として地球の磁極が移動するかもしれない。分かりやすく言うと、地球が「ひっくり返る」ということだ。こうなると、方位磁石は北を指さなくなり、方角が分からなくなってしまう。かつてドイツの潜水艦が瞬時にテレポーテーションを起こし南から北半球へ移動し乗組員は黒こげになっていたという記事を思い出しぞっとした。
ここのブログを2006年の6月に始めて以来アクセスが400万を超えてきましたが一人平均2.5回アクセスしていますので約1000万のアクセスがあったことになります。右のアクセスは一人1日一回しかカウントされません。ここのブログの目的は「考えるヒント」であり将来政治家や経営者になられる方も多くおられると思います。記事に煽りはありません。特に西洋人のインテリと対等にやり合うには教養が必要です。言葉の問題もあるでしょうがもう今までの日本人から脱皮する必要を痛感しております。最近のコメントで石川さんという読者の方から「見て読んで考え,そして感じました」というコメントがありました。とても嬉しく思いました。一応12月21日前後でこのブログを終了する予定ですが最終的な� ��えではありません。追ってお知らせいたします。
太陽活動の低下
黒点の消えた太陽....黒点数が減少することにより何が起きるのかというと、気温の低下や嵐などなど。数千年というほんの少し前一日は48時間あり太陽は西から昇り東へと沈んでいった。
太陽黒点と地震の関係
「太陽黒点が少ない活動極小期に巨大地震の発生頻度が上昇することが、九州大学宙空環境研究センターの分析結果によって指摘されている。分析データは1963年から2000年のもので、約11年周期で訪れる太陽黒点数最小期(いわゆる「サイクルn」の逆の時期)の2年間にM4.0〜4.9の地震の65%が発生、M5.0〜5.9、M6.0〜6.9、M7.0〜7.9でもほぼ同様の割合だったが、M8.0以上の巨大地震に至っては全28回のうち79%が最小期に発生していた� �また、太陽黒点が少ない時期における月3〜4回の強い太陽風発生時には、M6.0以上の地震の70%が発生している。なお、2011年の東北地方太平洋沖地震も太陽黒点が少ない時期に発生したものである。太陽黒点の減少で巨大地震が増加する原因は現時点では不明だが、この分析結果から太陽活動が地球の内部にまで影響を及ぼしている可能性がある。」(Wiki)
現在進行している地磁気の減少
急変する地球『目次をクリック』
5章 極移動と磁場
地理極の移動
北極には、地理上の北極と地磁気の極としての磁北極の二つがあり、地理上の北極である自転軸の中心は、絶えずいびつな円を描くように反時計回りに移動しているといわれています。これは極運動と呼ば れているもので、その半径は最大幅10m程で、これが2分の1、3分の1と縮まることもあり、14ヵ月と12ヵ月の周期が重なり合っていて、動きは絶えず変動しています。これらを全体的に捉えた上で、さらに宇宙技術による精密な衛星観測によれぱ、北極は年間10p程の割合いで、グリーンランドの方向へ移動しているそうです。太古には20pも移動していた時期もあったとのことで、古地磁気学調査によれば5億年前の地球は、現在よりも球面を90度も移動させていたとの調査結果があるようです。古地磁気学の進歩に伴って、最近の地球物理学では極移動ということがいわれ始めていますが、しかしその研究については、まだまだこれからの様です。極移動とは基本的には、地理北極の地域が南下し、他の地域が北上して地理北極に収まることです� �南極にも同様なことが生じます。この場合地球の自転軸が傾いて南側の地域が地理北極の位置に来た、ということではありません。自転軸は23・4度の傾斜角度をほぼ保ったまま、球面全体が移動するのです。太古に90度移動したというのであれぱ、それはグリーンランドが赤道直下にまで移動する位の角度に相当します。それが生じた場合グリーンランドは北極圏ではなくなります。新たな北極圏には別の地域が収まっていることになるのです。極移動について古くに主張したのは、1889年、米国の作家マーシャル・ホイーラーという人らしく、知られるかぎり、赤道傾斜角はそのままで球面が移動することを主張したといわれています。その後、ヒュー・オーチンクロス・ブラウンの氷冠起因説や、1958年のチャールズ・ハッチンス・ハプ� �ッドの地殻移動理論、1978年にはピーター・ウォーローらによって諸説提唱されたようで着想は優れていたと思われますが,どのようなメカニズムで生じるのかの説明にどの提唱者も苦慮しているようです。極移動は、研究が充分でない分、一歩誤ると荒唐無稽な理論に響きがちだからです。それに、地球磁場がどのようにして形成されるのかのメカニズムが解明されていないと、極移動のメカニズムを説明するのは非常に難しいと思われます。極移動は、コア内部の周期的活発化によって地球磁場が極端に減少した時に、太陽磁場と内核の磁力線との結びつきが寸断、ないしは極限にまで弱まった段階で生じるからです。太陽磁場と内核からの磁力線の強固な結びつきは地球回転を安定させています。それが寸断され、均衡が破れると地球� ��不規則回転を起こし、自転軌道の転移傾斜を引き起こしてしまうのです。地球は回転の中心位置を変えながら球面を傾けていきます。つまり、極移動とは、ほぼ自転速度で生じるのです。磁場の消滅減少は、内核から発している磁力線の弱まりから、球殻を拘束している力が奪われ、コアは球殻を捕捉していられなくなります。それは、太陽磁場と内核磁力線の繋がりが寸断される時であり、それは大気圏や宇宙空間で行なわれることはなく、大概は地球内部で生じるのです。球殻が太陽磁場と結ばれてはいても、コアから切り離されてしまうことが問題なのです。端的に申しますと、地球の正常な自転が保たれる為には、太陽中心核と地球中心核が、太陽磁場と地球磁場同士の磁力線によってしっかりと結ばれていなけれぱばならない� �いうことです。これが切れることが極移動を引き起こす最大の原因なのです。(図5-1参照) 球殻だけが太陽磁場で繋がれていても正常な自転は保てません。地球の極端な磁力の衰えは、一時的ながらも重力による力の場を偏って顕在化させます。その結果、球殻は内核の重力に引っ張られ、通常の自転軌道を外してしまうのです。磁力と重力が拮抗している間は、地球は正常な自転を保っていられます。正常な回転を維持していく為には、磁力と重力のバランスが極めて大事だからです。ところが、磁力が極端に失われると、内核と球殻の関係は留め金の外れた車軸の両輪のようになります。両輪はそれぞれバラバラに回る関係になります。その為に、極方同を向いていた内核自転軸は外部磁界からの影響外に置かれる為に、軸先は赤道方� ��へ向こうとするようになります。軸芯は遠心力によって赤道と常に平行になろうとしています。それを妨げているのが太陽磁場と内核磁力線との結びつきによるコアと球殻同士の拘束なのです。その妨げが弱くなったことにより内核軸先が赤道方向へ向かい始め、軸芯は次第に横倒しになっていきます。この場合は内核だけが横倒しになるのではなく、球殻をも道連れにするのです。球殻は横倒しになる軸芯の重力に引っ張られ、自転軸の中心を外してしまいます。地球全体が自転しつつ、内核軸芯の横倒れと共に球殻の球面も移動し、北極地域は別の場へ移ります。新たな場が北極点となってそこを中心にしてそれ以後も自転を続けるのです。そして、それは地球の通常の自転の延長のような形で生じる為に、それらの始まりも終わり� �途切れることなく、ほぼ自転速度でスムーズに進みます。それらが極移動の本質なのです。コア内部の活動が急激に活発化し、コアが温度を上昇させるに従って下部マントルをさらに熱していきます。その時にキュリー点を越えた岩石帯がコアを幅広く包むように拡大していき、極移動の起こり易い状況が整うのです。それらに至る状況では、地球磁場が急な磁力低下を引き起こしています。
¶極移動後の自転の軌道転位
受信局をどのようにカバーする
温度上昇からくる高熱による磁場消滅と、打ち消し合いによる消滅により、内核からの磁力線の支えを失った球殻は糸の切れた凧同然となります。その結果、内核のそれまでとは違った方向からの重力に球殻は引っ張られます。回転する内核の赤道周辺は多少の遠心力が働く為に、重力は極を結ぶ軸芯が最も強く働くのです。磁力線の減少によって、球殻との均衡を失った内核の軸芯は、それまで極方向へ向けていた軸先を、球殻の赤道方向へ向けようとするようになります。軸先は最も重い為に、遠心力によって絶えず赤道方向へ向かおうとしています。そして、磁力の拘束から解放されたその軸芯が倒れようとする力、軸先が赤道方向へ向かおうとする内� ��の重力に、球殻全体が動かされます。その結果、地球の自転軸の中心地点から、球面が脇の方へ外れ始めます。赤道傾斜角はほぼ23・4度を保ったまま、自転しつつ、それまでの自転方向とは違う方向へ球面が回っていくのです。地球の自転軸の中心地点から、球面が突然脇の方へ外れ出す現象、極移動は地球の自転の延長として始まり、球面が不規則移動した後、新たに定まった地点で通常の自転に入ります。その間はよどみなく進行します。極移動の始まる瞬間というのは、おそらく何のショックも起こらないのです。ところが始まった直後からが恐ろしいことになります。それはちょうど、車に乗って直線コースを走っていたのが道路が急にカーブし始め、体がそちらの方向へ引っ張られるような感じに似たものかも知れません。地� �全体は自転による一定の方向に、加速度力が働く慣性に従っています。自転の方向が変わるということは、加速度力のかかる方向も変わってくるということです。その結果、地球の全地殻は、それまでとは異なった方向からの加速度力に曝されることになります。それは脆弱な地殻や地盤の悉くを崩壊させ、地球全域に渡って地殻に大きな変動を齎すことになります。急激な崩壊が生じるものは極移動の最中に、そして通常の自転に入った後も崩壊はゆっくりと進むでしよう。それらの変動は、当然、さらなる火山噴火や大地震を呼び起こし、大津波、洪水を招き、気象も極端な変化に見舞われることになります。地域によって高緯度、低緯度が一転し、寒帯地方が熱帯に、熱帯地方が寒帯にといった変化がその地方独自の季節サイクル、 気象サイクルを狂わし、そのことが生態系に大きな混乱を生むために、多くの動・植物種の死滅が齎されることになります。海流の方向が変わるのと、極端な海面変動が生じることが生態系の混乱に拍車をかけ、多くの海洋動物・植物の死滅を促すことになります。内核の軸芯が地球に身をまかせるようにして、地球と共に倒れるところまで倒れると、その段階で変則的な自転は、新しい自転軌道で通常の自転に入ります。内核の軸芯が或る限度のところにまで横たわった段階で、新しい地理極が決まるからです。内核軸芯の横倒れが止まり、その位置が定まった以上、変則的な運行をする必要がなくなりますので、地球は赤道が一定の軌道に定まった通常の自転段階に入ることになるのです。この内核軸芯の横倒し現象は、内核軸が傾斜� ��深めていくとも言い換えることは出来ますが、前にも触れたように磁場逆転の場合の転移傾斜とは別です。こちらの場合は、球殻内部、地球の内部での分離した独自の転移傾斜であり、180度反転することもありますが、極移動の場合は球殻と共に傾斜し、その傾斜は赤道に近くなったところでストップします。赤道に近付いても、軸芯は赤道面と一致してしまうことはなく、赤道から10度程手前の位置で傾斜をストップさせるのです。それは、内核磁場と反発し合う外核磁場の極性が、内核軸先周辺に常に付いてまわるからであり、内核軸先が赤道方向へ向くべく、近付く前に外核磁場が先回りし、外核赤道付近に極性を形成させてしまうのです。液体鉄の渦の中心が先に赤道へ達してしまうことから、そうなるわけですが、その為に内核 軸先は、赤道にまで達することが出来ずに傾斜をストップさせます。その段階で、地球はそれ以上横転する必要がなくなり、通常の自転に入ることを余儀なくされるのです。流体核としての外核は、内核の動きによって、その動態が決まることは既に述べた通りです。従って、極移動の生じる角度は、最大角でも70度、それ以内、67度〜8度がせいぜいであろうかと思われます。太古の地球が90度も球面を傾けたというのであれば、それは一回の極移動で生じたものではなく、いくつかの時期に何回も重なってそうなったのです。今後、極移動が生じるとしますと、北緯67度の北回帰線上周辺のどこかが、新北極点の候補地ということになります。新北極点は極移動が始まった時に、内核の軸先がどの方向を向いているかによって決まってきま� ��。内核軸が地球の自転の方向へ徐々に倒れていくことにより、北極地方は次第に南下し始めます。そのことによって、地球の自転軸は北極の南下の方向とは反対側に押し出される格好になります。現在、北磁極はカナダ北方の北極海上にあり、極移動が始まるとしますと、南半球がせり上がることにより、地球の自転軸中心地点は太平洋側へ押し出される形になります。北極地方の南下と共に南半球がせり上ってくるに従い、中心地点は弧を描くように軌跡をとり、或る地点で地球の自転の中心を定めます。南半球の北上に伴い、カムチャッカ半島の方へ押し出された自転軸中心地点の上を太平洋から、日本、中国、インド、パキスタン、イラン、アラビア半島と、経由し、リビアの辺りで通常の自転が回復し出すとしますと、新北極点� �リビアに落ち着くことになります。内核軸がこれ以上、倒れようにも倒れようがないという段階で、地球は通常の自転に入らざるを得なくなり、自然な形で自転の中心地点、新しい地理極が定まるわけですが、極移動の始まる時に内核軸先がカナダ北方ではなく、別の方向を向いている場合には新しい地理極は、他の地域に形成されることになります。軸先が、カナダ北方とは反対側のシベリアの方を向いていたとしますと、地球の自転軸中心地点は太平洋側とは反対側の北大西洋の方へ抜け出ることになり、新地理北極は太平洋上に形成されることになります。しかしながら、現在、内核自転軸の北側の軸先はカナダ北方を向いていると考えられます。
¶極移動に伴うドリル効果による地殻の破壊
トヨタのパワードアロックをプログラムする方法
赤道の自転速度が毎秒約460mとして、球面の移動に伴い自転軸の中心は、それに近い高速で球面上を移動することになります。地球が赤道傾斜角をきちっと維持しようとする事と、内核が分離した自転形態を保って地球の内側から支えていることから、自転軸中心地点の高速移動は、加速度力の急激な方向転換により、その軌跡上に強烈な破壊効果を生み出します。それを取り敢えずドリル効果と呼んでおくことにします。その効果は地殻の弱い所、地盤の脆弱な所に顕著となり、それは地殻にひびを入れ、地殻を割り、時には粉々に砕きます。極移動による加速度力の連続的方向変動は、高速移動する球面の自転軸先を境界としますので、軸先� �通った軌跡上には裂け目が生じるような激しい破壊が展開されます。過去の地球に生じた極移動の軌跡は世界中の至る所に垣間見ることができます。過去に生じた最も新しい極移動によって、地理北極が現在の北極に定まったわけですが、それなら当然そこへ至る軌跡の痕跡は残っている筈だ、と読者は思われるでしょう。勿論のことで、この場合の自転軸の中心地点、軸先は北アメリカを縦断して北極に達したのです。五大湖やハドソン湾クイーンエリザベス諸島は、そのドリル効果の破壊作用による痕跡なのです。しかもこの周辺は一度や二度の通過ではなく、何度か破壊が重ねられたでしょう。五大湖やクイーンエリザベス諸島の複雑に入り組んだ地形は、一度の極移動で生じたものではないのです。この周辺は方向を変えて何度か 軸先が通過した跡です。この事は言葉を替えていいますと、北極地方はこれまで何度か北極であったということです。南極も同様です。さらにもっと古い極移動に関していえぱ、ヨーロッパ周辺は数え切れない程何度も軸先が通過し、破壊が重ねられ地形が複雑化していったでしょう。アラル海カスピ海、黒海は通過の跡であり、地中海は何度も通過したでしょうし、ギリシャの工一ゲ海に散らばる島々はドリル効果によって砕かれた跡でしょう。火山噴火や地震だけでの結果ではなく、噴火や地震はしばしばドリル破壊の痕を消してしまいます。これらのことは北極がしばしば北アフリカにあったことを示しています。ドリル効果による地殻の破壊は世界中に美しい風光明媚な場を造ったのです。島々、半島、海峡、入江、湾、内海、湖� ��入り組んだ複雑な地形、それらはドリル効果の破壊による産物であることが多いのです。タイからマレーシア、フィリピン、シンガポール、インドネシア、ニューギニア、オセアニアー帯は、度重なる極移動による軸先通過で何度も破壊されたに違いありません。べ一リング海やオホーツク海、日本海も太古に通過した跡と思われます。日本列島はユーラシアプレートと太平洋プレートの狭間にあり、日本海はユーラシアプレートに属するからで、大きな地質の別れ目は島弧の中心を縦断しています。日本海という船状海盆はドリル作用によって作られたと見られるわけです。プレートの沈み込みによる摩擦熱が火山活動を引き起こすだけの熱エネルギー量に達しない以上、船状海盆を形成するに至るマグマ上昇に伴う地域の開裂もまた� �じないであろうと思えるからです。軸先の通過は、海との沿岸すれすれの陸地をも通り得るわけで、それが不可解な地形を作り出していると思われます。アメリカ大陸では、メキシコ湾、カリブ海、西インド諸島一帯が考えられます。そして、ドリル効果による破壊作用は、北極と南極の両方で生じることになります。一番新しい極移動で、軸先が北アメリカを縦断し北極に達したとしますと、当然それは南極側でも起こったことになります。南極大陸ではインド洋の南側に位置する海峡プライジュ湾の入江からプリンスチャールズ山脈の脇を走るランバート氷河の峡谷がそれだろうと思われます。ここは、ビクトリア島からクイーンエリザベス諸島に至る位置のちょうど真裏にあたります。ただ、峡谷だからといって軸先が通過した跡だ とは一概にいえないところがあります。ドリル効果が齎す破壊がそのまま岩盤の倒壊と岩石や土砂によって埋めつくされ、何万年も経過するうちにその跡が全く判らなくなってしまう場合の方が多いからです。近くに火山があれば、その痕はますます判りにくくなり、入江にしても、永年の大河の浸蝕によって出来たものと区別する必要があります。このように極移動にはドリル効果による破壊はつきものであり、将来的に極移動が現実のものとなった時、リビアヘ至るその軌跡上の通路には激しい破壊が展開されることになります。特に日本から中国、アフガニスタン、イランに続く一帯は地震多発地帯であり、地盤は極めて脆弱です。アラビア半島周辺は長年に至る石油採掘で同じく地盤が弱っており、この辺りは軸先が通過した場合� ��工一ゲ海の島々やクイーンエリザベス諸島のように粉々にされるに違いありません。少なくとも幾つかの島々に分断されることにはなるでしょう。軸先が通過した軌跡は、地殻の裂け目となり、海水が流れ込めば海峡となります。これと同様のことは南極側でも起こることになります。北極側の自転軸軸先がカムチャツカ半島の方へ押し出されるとしますと、南極側の軸先はアフリカの方向へ向けて出ることになります。そして南極海から南大西洋へ抜けた後、 南アメリカヘ向かい、南側を横断した後、軸先は南太平洋へ出ることになります。そして、海上でストップした後、通常の自転に入ることになり、新南極点はそこに形成されることになります。即ち、ドリル効果とは南北両側から地球表面を割っていくことです。ただ、極移動中も地球は揺らぎつつ回転していく為に、南北両軸先に掛かる力は均等でなく、北側に強く掛かる時には南側は弱く、南側が強くなる時には北側は弱いといったように、どちらかに片寄りがちになります。従って、軌跡上の破壊力は一定ではなく.軸先に力が片寄った時に破壊力も大きくなるのです。力が引いてしまう時には破壊力も小さくなります。極移動中、これが交互に繰り返されます。このメカニズムを理解する方法は二重に回転する球体の力場について考 えることなのです。軸先が海上へ出た際には、海洋を大いに波立たせる為に、環太平洋地域や環大西洋地域はその間、巨大津波に見舞われることでしょう。ことに、北極軸先が太平洋へ抜け、日本列島の脇を通過する際には太平洋側沿岸一帯は悉く大津波に見舞われることになりますが、これが日本列島を縦に横切って日本海へ出て、その後中国大陸へ入るというのであれば、さらに事情は一変します。しかし、そのコースについては大雑把にしか予測出来ませんし、日本列島は予測するのに極めて難しい位置にあります。軸先がアラスカの方に出るのか、或いはべ一リング海峡の方か、カムチャッカ半島の方かによって軌跡のコースは変わってくるからです。どのようであれ、ドリル効果による破壊作用は脆弱となっている地殻や地盤を� ��均しするかのような効果を生むことになり、それがまた新たな地形を形造るのです。
¶内核順行時の二乗倍の破壊力を伴う逆行時極移動
ここで、読者の中には疑問を持たれる方があるに違いありません。かつて、北アフリカに北極があって現在の北極に極移動したのであれば、現在の北極からリビアに至る距離より短く矛盾するではないか、と。この地球で起きた最も新しい極移動は、北アフリカ(サハラ砂漠には氷河の跡が至る所で発見されている)から移動したと思われますが、その軸先移動距離は、北極リビア問の約半分です。何故、軸先の移動距離が倍も違う格差が生じるのか、ということです。それは、この時の極移動が内核の自転が順行の時に生じたものであったことに理由が求められます。内核が、順行であれ逆行� �あれ、軸先を赤道方向へ傾けるべく傾斜に要する時間はどの場合でも大体一定であり、約12時間としても両方どちらも経過時間は同じです。ところが、内核が順行時に要する球殻の自転速度は一日48時間です。つまり、自転速度が逆行時に比べて倍遅い為に、軸先の移動距離も逆行時の約半分で終わるということです。自転速度48時間の極移動は、軸先の進行速度が倍遅いため、逆行時のそれに比べ破壊力が落ちます。それはとりもなおさず、内核逆行時の極移動は順行時のそれに比べて、そのドリル効果は倍の破壊距離に至り、地球表面に二乗倍の破壊効果を齎すということです。この最も新しい極移動、取り敢えず5万年前と仮定しておきますが、それが生じた時の地球の一日は48時間であったのです。その事が、北極リビア間の約半分の 距離で極移動が終わった理由です。
¶外部要因による180度変則的極移動
カリフォルニア州で販売されているトップ10のほとんどの車
そうしますと、ここでまた新たな疑問が生じます。それでは何故、現在の地球の一日は48時間ではなく24時間なのか、内核は順行でなく逆行なのか、と。前出のピーター・ウォーローは、仮想の迷走惑星が地球に接近した場合地球を180度ひっくり返すだけの引力が生じると考え主張しましたが、エジプトやマヤ、ギリシャ、中国他、の世界各地に南北逆転、東西逆転の伝承や神話の存在することから、これに近いことは過去の地球で現実に起ったことのように思えます。このことについて推理してみますと、そう遠くない過去に大きな質量を持った彗星の接近があったのです。その接近によって、地球との間に巨大な引力が生じ、その引 力が地球の自転軌道の方向を強引に捩じ曲げたのです。双方のそれぞれの軌道に従おうとする慣性の力が勝り、どちらかが捕獲されることも衝突することもなく通り過ぎたのですが、引力の及ぼした影響は甚大で、地球は自転軌道を捩じ曲げられると同時に、当然のことながら地理極の位置を変え始めました。この極移動はこれまで説明してきた極移動とは事情がまったく異なっています。何故なら、これは地球が自発的に引き起こした極移動ではなく、外部的力によって強引に引き起こされた極移動だからです。そして、この変則的極移動が何故、球殻の180度反転にまで至らせる結果になったのかということですが、この事態が生じた時の地球磁場は或る程度の強度を保っており比較的安定した状態にあったと思われます。つまり、地球� ��自発的に極移動を引き起こす状態にはなかったのです。地球磁場が強度を保って機能していたことに加え、彗星の引力による極移動が90度を越えたことが、球殻の180度反転を余儀なくさせた要因の一つであろうと思われます。地理北極は南極へ、地理南極は北極へと地球は反転してしまったのです。そして、もう一つの要因は地球が分離自転構造をもっていたことが挙げられましょう。これが、水星や火星のように、内核自転の停止した単体自転の構造であったのなら、この外部的要因による極移動が生じたかどうかは疑問です。何故なら、分離自転構造にある球殻は、冷え固まった鉄のコアと一体となった単体構造の球殻よりもはるかに軽いからです。外核という潤滑油に隔てられた分離構造にある球殻の方が極移動は起り易いわけで、 このことは内核の自転が停止した単体構造の惑星は、大きな外部的な力が加わっても極移動を引き起こす可能性はほとんどゼロに近いことの理由の一つになりましょう。ですから、大きな質量を持った彗星が接近し球殻の自転方向をグラつかせた後、内核をも巻き添えにしたのです。これは寝ている赤子を起こすようにコア内部を刺激し新たな活動を引き起こす引き金となりました。球殻と共に180度反転した内核は、反転後も勢いを増してさらに180度反転してしまったのです。内核は二度の反転によって都合360度回転したことになり、そのことと球殻の180度反転が内核の自転を逆行の状態に置くことになったのです。球殻の反転はそれまでの自転方向とは逆回りすることになり、自転速度は二倍に加速されることを余儀なくされました。言� ��を替えて申しますと、この事件以来、48時間であった一日は24時間に速められ、時計廻りに自転していた地球はその自転方向を反時計廻りに変えたのです。それがそのまま現在に至っているのです。その時以来、太陽はそれまで昇っていた方角とは逆の方角から昇るようになり、これが世界各地に伝承されている東西逆転伝承の由来であることは、極移動論者にはよく指摘されているところの事柄です。球殻が回転方向を変えず180度反転すると、それまでとは逆回りになりますが、これは内核の反転と理屈は同じです。北半球は南半球に南半球は北半球に入れ替わり、地球が逆回転に転じたために、奇跡的に生き延びた当時の人々が、世界に天変地異が起こり太陽はそれまでとは逆の方向から昇るようになった、という伝承を残す ことになったのだと思われます。
そうした伝承が残ることになったのは、この事態がそう遠くない過去に生じたからで、その時以来、コア内部では活動が急激に拡大化し始めたであろうことは想像に難くありません。事実、活発な状況は著しいものとなったでしょう。当然、その活発化は地表に大規模な火山活動や巨大地震を頻発化させ、地球磁場強度を大幅に低下させ、その影響は数千年にも及んだでありましょう。5000年前までの地球磁場の強度が異常に低いのは、おそらく一万年前以前に生じたその影響が5000年前まで及んでいたからではないのかと、筆者は考えております。(図2-11参照) そして、その外部要因による180度極移動が生じた時に、地球磁場が或る程度の強度を保って機能していたと仮定しますと、その極移動の始ま� ��も終わりも強烈なショックに見舞われたに違いありません。通常の極移動が、地球磁場の低下により太陽磁場との磁気的繋がりが寸断されたところで、ショックを伴わずスムーズに自発的に発生するのに対して、この極移動は磁場がしっかり機能しているところを外部的力が強制的に引き起こしたものであるだけに、ショックもまた大きかったであろう思われるからです。それはちょうど、電磁石が電流を通さなくなるとスムーズに離れ、引っ付いた二つの強力な磁石を引っ剥がす時には強い力とショックが伴うのに似ています。通常の極移動は前者で、外部要因のそれは後者にあたります。おそらく、始まりの強烈なショックと加速度力の急激な方向転換で、或る地殻は或る地殻の下にのめり込み始め、終わりのショックで追い打ちを� �けるようにその度合いをさらに深めたに違いありません。その激震と激しい地殻変動は地球史上稀に見る巨大さであり、アラスカ山脈からロッキー山脈、アンデス山脈へと至る巨大な皺とアフリカ大陸東部の強引に押され捩じ曲げらけた山脈の皺、インド大陸が大きく潜り込んだチベット高原や他の捩じ曲げられた大山脈の高さと山並みは、ちょうどこの時にほぼ現在の水準に至ったのだとも思われます。ハプグッドの主張した地殻が滑るように移動するという急激な地殻変動の現象が、目に見える形で生じたに違いありません。それは地殻が地殻の下にもぐりこんで地殻を押し上げ、斜めに、垂直に押し立てる、或いは連続的に押され続けた地殻が畳み込まれ、力の方向がまちまちである為、巨大な山並みの皺となる、これは地勢図用の 地球儀をじっくり眺めると実感されます。この180度極移動の際には、ドリル効果による破壊は生じなかったでしょう。何故なら、回転の中心、自転軸先は極移動中も始まりから終わりまで地理北極と地理南極にあって、内核は球殻と一緒に反転してしまったことと、球殻は北極と南極を中心に回転しつつ、回転軸を赤道傾斜角23・4度から180度反転させただけだからです。ドリル破壊は、地球が赤道傾斜角を維持しつつ球殻の回転軸先の位置を変えていく時に生じるのであって、赤道傾斜角を維持しようとする力そのものが外部的力によってねじ伏せられてしまうような時には生じないのです。どうして、通常の極移動と異なるのでしょうか。それは内核磁力線が太陽磁場としっかり結ばれていて場をキープしていたことと、地球の赤道傾斜� ��を維持しようとする力が、極移動を90度の越えた中途半端な角度で終わらせることなく、!80度に決めてしまった要因でしょう。この事件が惑星の接近によるものなら、その惑星は太陽に捕獲されてしまうでしょうから、地球を引っ繰り返して居なくなった物体とは、長周期性の巨大彗星に他ならないでしょう。彗星による強力な引力は、地球の赤道傾斜角を維持しようとする力さえも押さえ込んだのです。赤道傾斜角は、この極移動後も南北が入れ替わっただけの23・4度(前後)を保ち、この角度で現在に至っています。
¶極移動後の地球磁場
リビアが新たな北極の位置に移動したとしますと、移動前の北極点は北緯23度線上にまで南下し、南極点は南緯23度まで北上することになります。北磁極と南磁極は、極移動開始前の地点に付いたまま地理極の移動に従う為、カナダ北方にあった北磁極は、極移動中もカナダの同じ位置に付いて移動します。全地球的に見ますと、移動後は極移動の為に北磁極は赤道近くの北緯10度よりやや北側へ位置して存在することになります。そしてその後は、北緯、南緯共10度線上を向いた内核軸先は、それまでのように西方移動を続けつつ、軸先を次第に極方向へ向けていきます。そして、最終的には新北極点の近く、自転軸に対する10度角前後のほぼ定位置に収まります。内核軸が地球内部を西方移動 によって周回するうちに、その軸先は徐々に頭を上げていき、磁極は次第に赤道周辺から極地の方へと帰っていくのです。極移動によって赤道近くにまで移動してしまった地球磁場の南北両磁極は、その働きとして絶えず元の極地に戻ろうとします。それは極地が寒冷であり低温であるため、内核磁力線の磁気束流が勢い良く抜け出やすく、また安定する場でもあるからです。その為に赤道付近にあった磁極は、一千年以上かけて極地へ復帰します。この現象はそれまでの地理極ではなく、新しい地理極への復帰であるので、これを取り敢えず極地への擬復帰と呼ぶことにします。'この擬復帰に要する磁極の遷移角は約90度ですが、この角度は古地磁気学的に、調査される地点によってまったく変わってきます。擬復帰前後の両地点を結ぶ� ��線上にある地点からしますと、180度の遷移と捉えられることもあり得るでしょうし、両地点から離れるごとに120度、100度とだんだん狭まることになり、また、層に帯磁されるにはその時の条件が左右するに違いありません。つまり、極移動後には大概の場合、活発化していた地球全体の火山活動が沈静化し、減衰していた磁場が隆盛を取り戻すことが、第四紀の層に帯磁を可能にしている理由の一つでしよう。この180度遷移は、磁場逆転とは別物であり、区別されなければなりません。古地磁気学では、このように磁場逆転にまで至らないものを区別してエクスカーションと呼んでいます。これまで、100度以上にも及ぶエクスカーションの、4万年前頃、11万年前頃、18万年前頃、28万年前頃、38万年前頃、46万年前頃、56万年前頃、63万年前� �と、8回のイベントに関する調査が世界各地でまとめられたとのことですが、筆者はこれらのエクスカーションは極移動後の擬復帰による磁場遷移が刻印帯磁されたものと推測しております。それが事実と仮定しますと、地球は63万年前頃から少なくとも8回の極移動を数えたことになりますが、8回のドリル破壊は現在に至るまでの世界の地形に変えてしまったであろうことは充分想定出来ます。複雑な地形は何億年前といった古い時代に出来たものばかりではないと思われるからです。この測定年代の数値には、2〜3万年の不確かさが含まれているとされていますが、この中の4万年前頃のエクスカーションは、最も新しい極移動が5万年前頃に発生し、磁極が1千年以上かけて擬復帰した結果が4万年前頃までの地層にエクスカーションとして� ��留帯磁されたと考えられます。この頃は地球に何らかの変動が生じ、或る種の大型動物が絶滅したともいわれています。極移動論でよく引き合いに出されるのは、シベリアの凍土の中から発見された冷凍凍結したマンモスの死骸で、胃の中に食べたばかりと思われる植物が見出されたことから、極移動によって瞬間冷凍された結果であると主張されています。ただ、5万年前頃に極移動が生じたとしてもマンモスの絶滅にまでは至らなかったのと、運の良いマンモスはそれ以後も種を残したのです。極移動が生じても移動後の緯度にはそれ程変化のない地域も存在するからであり、極移動前も後も、温暖地帯である地域は確かに存在するのです。そうした地域は熱帯から寒帯へ、といった極端な気候変動には遭遇しなかった所です。地理北� ��が定まった後、磁極は1000年以上かけて擬復帰し、新しい地理極を中心に西方移動を始めます。擬復帰とは、内核磁力線が西方移動するのに加え、磁気束流が寒冷地の方へ引き付けられる力と、太陽磁力線と結び付いた力とによって生じるのでしょう。地球が半永久的電磁石モーターだとしますと、極地はそれを絶えず冷やそうとするラジエイターの役割りをしていると言われていますが、その機能は重力と深く関って、地球の自転軸の軸先周辺に絶えず付いて回ります。これは極移動中も付いて回る為に、移動後の新極地をも即、寒冷の地に冷却するでしょう。
¶太陽系惑星の極移動
水星と火星は二重自転構造が一つに収束し、コアも冷え固まっているために極移動が生じる可能性は、今後はないと思われます。惑星� �体に渡って冷えきってしまっていて、自発磁気が活発となる為に太陽磁場との関係が良好になり、磁力線がしっかりと結ばれているからです。多くの惑星にとって極移動とは、個々の惑星の自己調整、バランス調整の一つでもあるわけですから、太陽系捕獲以前のそれを取り敢えず自由極移動と呼ぶとしましても、惑星の捕獲前の自由極移動は捕獲後のそれとは本質的に異なることになりましょう。太陽に捕獲された後は赤道傾斜角が定まり自転軌道が拘束されることにより、或る決まった条件下でしか極移動は生じなくなります。捕獲後のガス惑星は、そのガス惑星の岩石核の殻はまだ薄く、表面も冷えきっていると思われることから、固体核磁力線と太陽磁力線とはしっかり結ばれており、ガス惑星内部、岩石核の殻内部でそれを寸断 するような条件が整った時に生じるであろうと思われます。木星や土星の磁気軸が自転軸に対し、3度、1度と傾斜角が小さいのは、両星共固体核が小さいだけでなく、岩石核の殻がまだ未発達の段階にあって、そう厚くはないことにもよると思われます。磁気軸が異常な角度を持っている天王星や海王星は、固体核も岩石核の殻も木星や土星に比べたら遥かに発達し、厚みを持っていると思われます。岩石核の殻の厚みはそのまま外核磁場の領域を大きくし、それが内核磁力線に強い影響を与えていて捩じ曲げてしまう為、磁気軸に異常な角度を持たせていると考えられるからです。 ガス惑星は岩石核の殻の増大成長により、磁力線を寸断出来るだけの高熱領域が、生じやすくなった時に極移動を起こすことになります。ガス惑星では、固体核と岩石核層とは分離自転構造をしていて、縞模様を見せているガス圏は岩石核層に付いて自転しています。ですからガス惑星の自転速度とは岩石核層の自転速度なのです。従って、遠い将来木星が極移動を起こすとすれば、大赤斑の位置は北上ないしは南下し始め、惑星全体の縞模様は崩れ、自転方向が定まった後、新たな縞模様を形成することでしょう。岩石核殻の表面はドリル破壊によって地均しされ、液体ヘリウムが冷却し始めると、超伝導状態になった殻は逆転温度の機能も働き、急速に冷え込んでいきます。岩石核の殻が冷え込むと、磁場は直ぐ様復活し、殻は常伝導� ��なり電気抵抗が生れやすい状態に復帰します。ガス惑星のコア内部には中間層が存在しないので、絶えず発生している電流は蓄電されることはなく、岩石核殻の無数にある噴出口を通して放出される諸々のガスと共に、荷電粒子として吐き出され続ける為、コア内部の電圧が上がり過ぎるということがありません。岩石核殻は主に珪素、珪酸塩物質で占められていると思われますが、液体核と接触している基底部は、永年高熱や酸に曝され続けている為、熱にも酸にも強く電気を通さない絶縁物質状態に変成されていることでしょう。殻表面の噴出口の高熱と極低温の衝突による化学反応は諸々の物質を生成していき、噴出口周辺に集め、殻表面に凸凹を形成していることでしよう。そして、新しい層が高熱状態になった時に極移動が生� �凸凹を地均しする、そのことで殻の層が厚みを増す、この繰り返しの連続によって、岩石核殻は次第にその層を厚くしていくのです。新しく出来た殻の層は、一度は高熱に曝される必要があり、それがまた新たなマントル物質を生成していくのであります。アンモニアは、高熱と極低温の衝突の場である岩石核殻の噴出口内部周辺で、炭化水素の燃焼と液体水素の接触等を通して発生していると思われます。アンモニア発生の条件の整った場が無数に存在しているのでありましょう。ガス惑星も当然のことながら固体核の極移動は絶えず頻繁に生じていることでしょう。固体核が極移動を起こしても、磁極の方向は変わらないので、ガス惑星の場合は後出のような、固体核球殻連動型極移動は生じないに違いありません。そして、岩石型惑 星の地球のようにコア内部にまで冷えが侵入するというようなことは、若いガス惑星には生じないでありましょう。従って磁場逆転も起こらないのです。また若い活力に満ちたガス惑星にとっては固体核を反転させて、出力を上げる必要性もないと言えます。ガス惑星において、固体核と液体核を隔てている物質は硫黄と宇宙塵であり、また液体の鉄とニッケルが硫化物となってその役割りを果たしていると思われます。金星の場合は、地球の極移動とは、原理的、構造的に同じものではあっても、大分異なったものになりますが、当分は起こる可能性はないと見られます。金星の自転速度は、公転周期224・7日であるのに対して、自転周期243日と極めてゆっくりであり、一公転期間より長い為に極移動が生じるとすれば、それ自体の動きは 極めて緩慢なものになります。金星が、分離二重自転構造を持っていても、球殻が高熱の為に内核磁力線は球殻を拘束しません。そして、金星の極地は地球のような低温ではない為、内核磁力線は極地を通して抜け出ることが出来ません。磁力線を吸引し引き付けるような低温領域が存在しないのです。その為、金星の内核自転軸の軸先は極方向を向いている必要がなく、赤道方向を向いている時の方が多いだろうと思われます。従って、その状態が続く以上は、地球のような極移動が生じる可能性はなく、金星が全体に冷えていくことがない限り、起こらないと見られます。では金星では極移動はまったく起こらないのか、というとそうでもなく、地球の磁場逆転に至る内核の反転のように、金星の中心固体核が自転軸の位置を換える固� ��核極移動の時に、球殻が連鎖的に極移動を引き起こすと考えられます。熱せられた球殻は磁気的に不安定であり、固体核の極移動による重力に球殻が引っ張られ、球殻に磁力線の支えがないために連鎖的に引き起こすのです。おそらく、太古の地球もその状態を体験して来たことでしょう。自由自転状態にある固体核の極移動に連動して球殻も反転するという形態は、地球が冷えていくことによって次第に失われていき、内核が極移動を起こしても、球殻が連動するというようなことはなくなったとみられます。固体核が回転の軸芯の位置を替える極移動を起こし、微妙に遅れて球殻が極移動する金星型極移動は、地球のような岩石型惑星が冷えて磁場が発生し、惑星磁気圏が形成されるまで辿る、惑星の形成に至る一つのプロセスでし� �う。この形態は地球に限らず、月のような衛星や水星、火星のような岩石型惑星も、金星型極移動一地球型極移動一現在、と同様なプロセスを辿ったであろうと思われます。その意味で金星は岩石型惑星の中では最も年齢の若い惑星であるという印象を与えています。
¶太古地球に於ける極移動の変遷
太陽に捕獲される直前の地球の球殻は、回転する渦から多重自転構造へと既に収束していて、固体核共々自由回転の形態を取っていたことでしょう。それはまだ磁場や磁気圏も発生していない熱い岩石球殻であり、太陽に捕獲されその引力圏に収まることよって、公転と自転の方向性が生まれたのです。磁場が発生していないにも関わらず自転方向が定まったのは、その時に固体核の自転軸先が球殻の赤道方向を向いた為です。つまり、太陽の方向を向いたことによります。太陽に拘束された後、球殻の自転軸と固体核の自転軸が、十字に交差する形を取ることによってバランスが取られ、自転方向が定まったのです。この頃の極移動は、固体核の極移動に連動しており、固体核が極移動を起� ��す際、球殻が旧軸先の方向へ球面が引っ張られるという形で地球の極移動は起こっていたのです。地球磁場発生以後のそれに比べれば、変則的、随意的なものであったでしょう。固体核は軸芯に圧密の度合いが高まると自然に転位を起こすのです。それは急激なそれというより、ゆっくりしたものだったでしょう。
固体核極移動と球殻極移動(地球極移動)はおおよそ次のように大別されるでしょう。
【地球磁場形成前】20億年前以前。球殻が高温である為,
磁場が形成されない。
(1)固体核極移動に伴う連動型極移動一ゆっくりとした極移動。
【地球磁場形成後】20億年前以後。球殻が冷えた為磁場が形成される。
(2)個体核極移動によるコア温度変動一地磁気変動。
(3)個体核反転(磁場逆転)に伴う極移動一自転速度の変則的極移動。
(4)中間層を起因とする極移動一自転速度の極移動(80度傾斜が限度)。
(5)外部要因による変則的極移動。
鉄隕石に見られるウイドマンシュテツテン構造のラメラの交差角度からして、通常の場合、固体核一回の極移動は、大体約90度や60度その他の転位角は無数と考えられます。90度を少し超えて転位した後、10数度揺り戻すといったように、さらに無数の角度の転位が固体核をくまなく圧密化していったといえます。そし� �、後代に至るに従って、固体核の極移動とは別に、その反転が地球磁場逆転を引き起こすようになったのです。固体核極移動は固体核の圧密化にむらが生じる時に発生しますが、磁場逆転に繋がる固体核反転は、圧密状態にはむらがなく極方向からの冷え込みが生じた時に起こるからです。地球磁場発生以前の極移動が、固体核の極移動に連動して生じていたのに比べ、球殻が冷えて磁場が発生し磁気圏が形成され始める頃には、固体核の回転軸先は次第に極方向を向くようになり、それが固定化され恒常化するようになります。地球磁場が発生し急激な高まりを示した時期があり、それは一説には20億年前といわれていますが、この時既に、中間層は薄くではありながらも存在していたことになり、球殻も充分磁力線を発生させるまでに� ��えていたことを示唆しています。球殻の高熱と磁場の打ち消し合いによって消滅させられていた磁力線は、極地が冷却されてきたことによって勢いよく放出されるようになり、地球磁気圏は形成されるようになったからです。中間層がコア内の温度制御に重要な役割りを果たしている以上、中間層の形成が球殻の温度をさらに下げたといえなくもありません。この時期以前に中間層が形成され始めたとしますと、コア内にプレートの残骸が落下し始めるようになったのが、その頃であると推定されますので、プレート・テクトニクスは少なくともその数十億年前から起動していたことになります。海洋の存在によってプレート・テクトニクスが長らく機能していたにも関らず、地球の冷え込みは表層部のみに停滞していて、下部マントル� �高熱状態が続いていたのでしょう。地表から地殻、上部マントル、下部マントル、と低温領域が深化拡大していくまでには、やはり数十億年を要したであろうからです。地球が深部までぐんと冷えることによって、固体核は今度は外部からの冷え込みに脅かされるようになります。そのことによって、固体核は固体核自身の極移動とは別に自転軸を反転させるようになったわけです。これが磁場逆転を引き起こし、コア内部の温度を高揚させたために地磁気の急激な変動を生じさせるようになり、球殻をも熱した為に極移動もしばしば起こりました。内核の自転軸の揺らぎが高熱を引き起こし、その余波が球殻にも及んだためです。この極移動は、内核の軸先が向いている位置次第で角傾斜も定まるといった不確定的な要因を備えた極移動 であったでしょう。それ以後は、コアの活動のメリハリがこの中間層によってつけられるようになり、周期的放電に伴うコアの温度上昇により、下部マントルが熱せられた時に、地球極移動は、固体核のそれとは別に生じるようになったのです。
¶核実験が地球内部に与えたもの
核保有国による核実験が、世界中の知識人や一般社会から非難される場合、普通、実験地域周辺の放射能汚染や地域住民への被爆、大気に及ぼす危険性について指摘される場合が大部分であり、地球の地下深部に及ぼす影響についてまで言及されることはほとんどありません。それは地下内部が誰にも覗き見ることが出来ない領域であることが、一つの理由としてありましょう。もう一つは、核実験が火山噴火や巨大地震を誘発させると判っていても、その因果関係を立証するのはほとんど不可能に近いからです。 核実験は、極運動に影響を与えることが人工衛星からのこれまでの観測によって確認されています。それまでのチャンドラー揺動は、大体半径5m幅の振幅でしたが、核実験が行な� �れるようになった1945年7月頃以降から、最大幅約10mに拡大してしまったのです。この章の初めに、極運動は半径10m幅だと申し上げましたが、その数値は一般的にいわれているものであり、核実験が行なわれるようになった直後のものです。極運動にも変動があるにしても、おそらく通常の数値は5mからそれ以内であろうと思われます。その後の揺動の振幅は大きくなったり小さくなったりしています。核実験による衝撃波が内核を揺さぶり、内核がその衝撃で幾分軸芯を傾けた為に、地球の自転軸の軌道がその重力によって外側へ引っ張られ、チャンドラー揺動の振幅が大きくなったということです。おそらく、内核の自転軸の微妙な傾きが南北方向に生じたのです。核爆発による衝撃波は、内核に達し内核を揺るがしたのです。内核は、� �の傾斜を微妙に揺らすだけでも、外核との摩擦によって膨大な熱エネルギーを発します。それらのエネルギーは火山活動による噴火や大地震という形で放出され、費やされることになるのです。当然の事として、核実験の後は必ずといってよい程、大地震または巨大地震か火山噴火が発生するのです。その顕れ方、発生するまでの時間は、その発せられたエネルギーがどのような費やされ方をし、どのようなプロセスを辿るのか、千差万別である為、まちまちであって一定していません。はっきり云えることは、地球の外側から内側へ向けて打ち込まれるエネルギーは、多くは跳ね返ってきて外側に解放されるということです。実験する側からしますと、実験の衝撃波は地震波として解放されてしまうと考えているのかも知れませんが、地 球の中心部は刺激を加えられても何事も起こらない、という場ではないことに対する認識が稀薄であった事が、実験を何の抵抗もなく進める事が出来る蛮勇となったのでしょう。地下核実験にしても、地下数百メートルの密閉された空間内での核分裂が空間内を連鎖反応によって無制限に拡大してはいかないにしても、分裂によって生じた爆発は高周波レベルの電気エネルギーを発生させ、そのエネルギーは衝撃波に乗って下部マントルの最下層にまで運ばれるのです。地球内部へ向けて、核実験という高電圧をかけて電流を送り込み、活発化しているコアにぶつけて競わせる、といったようなものです。これは現在、周期的活動期にあるコアの活動をますます煽る結果にしかならず、火に油を注ぐ行為であったのです。それが大地震や火� ��噴火の多発化を促した一つの原因でもあったでしょう。5月22日、ボリビアでM6・6の大地震が発生し、150回の余震を数えたことが報道されていましたが、これは5月11日と13日に行なわれたインドの地下核実験が原因で誘発されたものでしょう。5回ともいわれている実験が内核を揺らした結果、そのエネルギーはインドのほぼ裏側のボリビアに顕れたのです。5月30日には、アフガニスタンでM6・9の大地震が発生し、50の村が壊滅し数千人の死者を出しましたが、アフガニスタンでは2月にも地震があったばかりだというのです。これはこの地域としては異常でしょう。インドの地下核実験によってエネルギーが蓄積していたところへ、5月28日のパキスタンの地下核実験が火付け役となって、大規模な発生を促したと見られるのです。1995年5月27日� ��M7・5のサハリン大地震が発生しましたが、これは5月15日のロブノールでの中国による地下核実験が起爆剤になったと見られます。そのエネルギーは爆発地点には顕れず、プレート境界付近の地震多発地帯に顕れるのです。エネルギーが分散してしまう場合は一つのまとまった大地震として顕れないことも起こり得るでしょう。それらは分散されてそれぞれが小さな活動になるのです。1990年台初頭のフランスによるムルロワ環礁での地下核実験は、コアから吹き出ているホットプリューム(スーパープリューム)のちょうど真上の辺りで行なわれた為に、そのエネルギーは太平洋プレートの端の方に弾かれて顕れ、フィリピンのピナツボ火山の眠りを600年ぶりに醒ましたと思われます。ざっと述べましたが、これらの因果関係の立証はほとん� �不可能です。しかし、ここで述べられたことが凡そ事実であるのなら、核実験とは当事者も気が付かないで行なわれる人類無差別大量殺戮に過ぎない、ということにつきます。広島型原爆(TNT爆弾12キロトンに相当)をマグニチュードに換算するとM5・9位で、関東大震災のM7・9は、そのほぼ1000倍に相当するエネルギーであるといわれています。では何故、巨大地震より小さなエネルギーの筈の核実験がチャンドラー揺動の振幅を変えてしまうような、内核に影響を与えることが出来るのか、といった疑問が生じてくるでしょう。巨大地震の方がエネルギー的に影響力が大きい筈だと…。コアは内側に込められているエネルギーを絶えず外側へ解放しようとします。その為に火山爆発、ガス爆発が発生し、巨大地震、大地震が発生します。その� ��発は絶えず内側から外側へ向けられる為に、爆発そのものが内核に深刻な影響を与えるようなことはないのです。マグマは浮力によって上昇してくるという考え方がありますが、それは誤りでしょう。マグマはコアからのガス圧によって上昇してこざるを得ないのです。ですから、爆発は絶えず地球の外側へ向かうのです。それに比べ、核実験による爆発の衝撃波は地球の外側から内側へ向かいます。地球上のどの場所で実験しようが、それは全て地球の中心へ向かい、内核を揺るがし脅威を与えるのです。核分裂による爆発の衝撃力は強烈な為に空中、地下の別はまったく関係なく内核を脅かしたことでしょう。爆発によって発生した電荷は衝撃波に乗って地下深部へ運ばれます。2050回以上にも渡って地球中心部へむけて放たれた� ��気的衝撃によって、最下層から広い範囲に帯電し電荷の蓄積された岩石層は、核実験が行なわれるようになる以前と以後とでは明らかにその性質を変えてしまったでしょう。核実験は、下部マントルを高熱状態に導き易くし、それは極移動が起りやすい条件を整えたのです。中問層の周期的放電が今以上に勢いを増した時に、コアを包む下部マントルの下層はほぼ全域に渡って高熱となり、その一帯の磁場は消滅します。その時に太陽と地球を結ぶ磁力線が寸断され極移動が生じるのです。
¶磁場減衰が齎す極移動
極移動を生じさせる磁場強度が、現在の半分に低下した時なのか、或いはそれよりもっと低下した時であるのか、そのぎりぎりの上限強度については分かりません。それは2章や前項でも説明したように、5000年前から7000年前、或いは900年前や250年前と現在とでは、地球の置かれている状況がまったく違うからです。太古の地球では、下部マントルの平均温度が現在より高かった為に、極移動は結構頻繁に起きていたのです。ところが現在に至るまでに徐々に温度が下がり、下部マントル内の平均温度が低くなったことにより、磁場が急激な減少を示してもそう矢鱈とは起こらなくなったのです。少なくともここ8000年間は起こる可能性はなく、安定していたのです。通常なら、コアの周期的活動 に伴って現在の半分まで地磁気強度がダウンした後、また徐々に元の磁気強度を取り戻し、何事もなく過ぎ去ったかも知れないわけです。ところが現状は、そうはいかなくなっているでしょう。米国や旧ソ連を初めとする核保有国による核実験、僅か50年ちょっとの間に地球の外側から内側へむけて2050回以上も強烈な電気的衝撃を加えられるなどということは、かつての地球にはなかったことです。これが地球内部の事情を、50年という僅かな期間の間に変えてしまったのです。核爆発から発生する高周波帯の電気エネルギーは、地殻から上部マントルを通って下部マントル内に多くの電荷を蓄積させ、これが下部マントルの温度が上昇し易くなる原因となったのです。外核周縁部のマントル物質は、永年の度重なる高熱や酸に曝� ��れている為に、それらに強い物質が外核周縁を囲むように存在しているでしょう。その物質は主に炭化珪素だろうと思いますが、それは高熱にも酸にも強く、下部マントルでは時と場合によって抵抗炉のような役割りを果たしていることでしょう。下部マントル下層は、電気的には絶縁体で低温であることが望ましいわけで、熱伝導率も低いほうが理想的なわけです。ところが度重なる電荷の蓄積は、下部マントルを絶縁体から絶えず電気の流れ易い状態へと変質させたのです。それは、外核周縁部のダイナモ活動による電流が下部マントルヘ流れ込むことにより、絶えず発熱が促されることになり、低温領域部の温度を大幅に引き上げる結果となったからです。コア内部の中間層からの周期的放電が盛んになるにつれ、大量の荷電粒子� �下部マントルに及ぶ時に、電流はジュール熱となり、コアからの熱と相乗作用による温度上昇が生じていき、高温領域の範囲を拡大していったのです。中間層のそれは強弱を伴って波状的に襲う為に、一進一退しつつ既に大分前から始まっており、領域を少しずつ拡大しているでしょう。通常はコアからの熱を遮断する隔壁のような役目を果たしている下部マントル下層も、容易には温度を上げさせないにしても、現在おそらくじわじわと上昇しており、近い将来、周期的放電が最大級を迎えた時に、キュリー点を越えた高熱領域が拡大し、地球内部では灼熱状態の外核がひとまわり大きくなったかのような様相を呈するに違いありません。それは肉眼で見ることは出来ませんが。
―著者略歴―
西澤徹彦、1945年生まれ、群馬県出身。私立の音楽大学器楽学科卒業。某楽器メーカーを通して、小・中・高校の管楽器指導。その後、栄養補助食品会社勤務。退職と病気療養後、執筆と作曲に専念。著書に『古代日本の七人の神々』(廃版)。作品『古典形式による歌曲集』(仮題、未完)
著者開設サイト
『地球外人類と惑星間移住』 『霊性の進化と生命』 『古代日本とヘブライ一掃政策』 『七大天使と神々の系譜』
ご意見、ご感想は E−メール
又は、郵便番号 190−0191 あきる野市郵便私書箱13号 へ
古代日本とヘブライ一掃政策
0 件のコメント:
コメントを投稿